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[1942. 6.25]
第39回私演会 エスティユディアンティーナの夕べ。朝日会館。
斉藤正彦指揮
「君が代」「海行かば」演奏
1部:
「序曲幼き姫君」ハーディ(マチョッキ)
「甘き悲哀」ムニエル
「バルカローラ」ムニエル
「スペインの印象」ブーシュロン
2部:
「レナート」ベルレンギ
アルト独唱 [藤田悠紀子]
「ニーナの死」ペルゴレージ
「印度の唄」リムスキーコルサコフ
「歌劇カルメンよりハバネラ」ビゼー
「ギリシヤ風主題に依れる序楽」ラウダス
「行進曲ビヴァ・モンツァ」フリゲリオ
第1マンドリン4、第2マンドリン5、マンドラ4、リュート1、マンドロンチェロ1、マンドローネ1、キタローネ1、ギター8、コントラバス1、フルート1、クラリネット1、ティンパニー1、バッテリア3
プログラム(私演39)
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第39回私演会 [提供:南石きぬ氏]> |
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第39回私演会 |
[1942. 8]
楽器購入費募金、3月の締め切りを第39回私演会当日まで期限延長した結果、現部員からの寄付(10円)も加えて目標の募金額を大幅に超過して達成。
総額550円で、内385円をリュート、セロ、マンドラアルトの購入費(十字屋)に充てた。雑費10円を引いた差し引き超過金155円は、クラブ基金に。
報告書
[1942.11.27]
創立67周年記念音楽会。
「大学修練團便り」と題した「同志社新報」の記事によると、『創立六七周年記念音楽会。同志社創立記念日祝賀の為めと兼ねてから音楽に依る情操陶冶と集團訓練を行なふ為め大学修練團主催で社内各学校音楽團体の協賛出演で十一月廿七日(金)十三時から十六時迄栄光館で開催した。國民儀禮、訓示の後演奏に移り最後に愛国行進曲を斉唱、萬歳奉唱の上閉会した。聴衆一千五百名。集團訓練としても大に効果を挙げた』
同志社新報」76[1943.1.20]
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1943年頃か? 栄光館 |
[1943. 6.20]
第40回私演会 同志社出身出征軍人遺家族招待演奏会。華頂会館。
斉藤正彦指揮
「君が代」「海行かば」演奏
1部:
「ミルタリア」マチョッキ
「メヌエット」武井守成
「村里」ガルガーノ
「村の組曲」ワルテル
2部:
「ペルトの美はしき娘行進曲」ビゼー(西田直道)
ソプラノ独唱(オルケストラ伴奏)[奥本多美子]
「揶子の実」大中寅二
「遥かなるサンタルチア」マリオ
「愛しの小鳥」イタリア民謡
「帰れソレントへ」イタリア民謡
「ムーア人のグラナダ」ガルシア
「勝利の父」ガンヌ
SMDのペナントにかわり、日の丸を掲げる。主催は「同志社マンドリン同交会」の名前。
プログラム(私演40)
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同志社出身出征軍人遺家族招待演奏会(第40回私演会 |
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[1943. 6.27]
送別演奏会。栄光館。
SMD:斉藤正彦指揮
「メヌエット」武井守成
「村里」ガルガーノ
「村の組曲」ガリシア
主催は同志社大学報国団文化部音楽班。班長は森本芳雄。プログラムの副題に「DU3MC」とある。参加した「団体」のSMD、シンフォニーオーケストラ、男声合唱団を表すDoshisha University 3 Musical Clubsの略か。
プログラム
[1943.10.21]
明治神宮外苑で学徒出陣壮行会。
[1943.11.14]
第41回私演会 学徒出陣壮行音楽会 同志社大学報国団音楽班主催。栄光館。
1部:
男声合唱:
「御魂に捧ぐ」合唱班作詞作曲
「勝軍」中瀬古和作曲
「学徒出陣賦」津川圭一編
SMD:金谷保夫指揮
「オラッチ兄弟とクリアッチ兄弟」チマローザ
「初秋の唄」武井守成
「メヌエット」武井守成
「落葉の精」武井守成
「行進曲英雄」ガンヌ
男声合唱:
「狩」メルゾン
「詩林の賦」シュトンツ
「牡鹿の渓水をしたひて」グノー
パイプオルガン演奏[中瀬古和]:
「遁走曲ト短調」バッハ
「御民我に依る変奏曲」中瀬古和
「海行かば」信時潔
2部:
男声合唱:
「戦友」ジルハー
「剣と堅琴」ヘーガ
独唱[堀英子]:
「Ich liebe Dich」ベートーヴェン
「アヴェマリア」ヴェルディ
「やすくにの」信時潔作曲
「かへるとは」平井保善作曲
「国守る」平井保善作曲
提琴独奏[宮本政雄]:
「荒城の月」滝廉太郎(山田耕筰)
「ミヌエット」バッハ
「夢を追いて」フォーレ
「グラナディナ」ニン(コハンスキー)
マンドリン合奏:
「アンネン・ポルカ」シュトラウス
「草原にて」ジュリアン
「行進曲ヴィヴァモンツァ」フリゲリオ
詩の朗読:
「大御軍」中瀬古和作曲[音楽班]
「出陣学徒の歌」[出陣学徒一同]
「海行かば」[一同]
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学徒出陣壮行音楽会(第41回私演会) |
出演はSMDと男声合唱団(グリークラブ)、賛助出演としてパイプオルガン演奏とヴァイオリン独奏。内容は軍事色の濃いものであった。
SMDは現役12名、OB22名参加。演奏会終了後、部員は楽器・楽譜をリヤカーでOB山口弘宅に運び、山崎喜三郎の挨拶のもと涙のクラブ解散式を行なった。
楽器・楽譜は南石謙が保管。
以後、全員それぞれ戦場に赴く。
プログラム(私演41、中野先生謝恩演奏会、定演97)・「SMD会」2[1961]
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